質問解説

申命記16:3に「悩みのパン」(新改訳第3版)という表現が出てきます。その意味は何か。

結論から言えば

「悩みのパン」はイスラエルがエジプトで奴隷とされていた時の悩みや苦しみの象徴です。神様の偉大な御業によって奴隷の不自由から解放されたことを毎年覚えるために種なしの「悩みのパン」を食べることが定められていたのです。種なしパンの祭りは一方で神様に対する感謝を表すものでありましたが、不自由や悩みや苦しみを受けている隣人と共感し、神様がイスラエルを救出してくださったように、こんどはイスラエルが隣人を愛し、助ける心が湧いてくる目的もありました。

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1アビブの月を守り、あなたの神、主の過越のいけにえをささげなさい。アビブの月に、あなたの神、主が、夜のうちに、エジプトからあなたを連れ出されたからである。主が御名を住まわせるために選ぶ場所で、羊と牛を過越のいけにえとしてあなたの神、主にささげなさい。3それと一緒に、パン種を入れたものを食べてはならない。七日間は、それと一緒に種を入れないパン、悩みのパンを食べなければならない。あなたが急いでエジプトの国を出て来たからである。それは、あなたがエジプトの国から出た日を、一生の間、覚えているためである。」(申命記16:1~3 新改訳第3版 1聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会

新改訳第3版で「悩みのパン」と訳されているלֶ֣חֶם עֹ֑נִ (レヘム・オニ―)は「新改訳2017 2聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会や「聖書 新共同訳 3日本聖書協会『聖書 新共同訳』 」で「苦しみのパン」と訳されています。このパンの意味を読み取るために申命記16章の文脈を見てみましょう。申命記16章はイスラエルに定められた7つの例祭の一部である過ぎ越しの祭りとそれに続く7日間に渡って行われている種なしパンの祭りの在り方とその意味を説明しています。

イスラエルの7つの例祭

第1の月(アビブの月 4イスラエルのカレンダーは陰陽歴に基づき、アビブの月は太陽暦の3月/4月と並んでいます。イスラエルのバビロン捕囚以降「アビブ」が「ニサン」というバビロニアで使われていた呼称で呼ばれるようになりました。(ネヘミヤ記2:1、エステル記3:7) )の14日に過ぎ越しのいけにえとして捧げられた羊や牛をパンと共に食べられていましたが、そのパンが種なしパンמַצָּהマッツァ― )でなければなりませんでした。過ぎ越しのいけにえと共に「種なしパン」を7日間食べることが、「種なしパンの祭り」と呼ばれています。

なぜパンに種に入れることが禁じられていたのか。そして、なぜこのパンが「悩みのパン」あるいは「苦しみのパン」と呼ばれるようになったのか。3節の後半を見ると種なしパンが、イスラエルが急いでエジプトの国から出てきたことと並列されてます。

「あなたが急いでエジプトの国を出て来たからである。それは、あなたがエジプトの国から出た日を、一生の間、覚えているためである。」(申命記16:3b 新改訳第3版)

パンに種を入れ、それを寝かせることによってパン生地の内に発酵が進み、ふんわりとしたパンが焼けます。しかし、イスラエルはパン生地を膨らませるために生地を寝かせる時間がなかったほど急いでエジプトを脱出しなければならなかったのです。イスラエルはエジプトで自由が奪われ、のけ者とされ、虐げられていました。種なしパンを食べることによってイスラエルは神様の速やかな恵みと救いの御業を思い起すのです。このパンが「悩みのパン」、又は「苦しみのパン」と呼ばれているのかも見えてきます。エジプトでイスラエルは大きな悩みを抱え苦しみを受けていたことの象徴が種なしパンに込められているのです。絶望的な状況から神様はイスラエルを救ってくださったことを覚えるために種なしパンの祭りが設けられているのです。

種なしパンの祭りを祝うことは一方で神様に対する愛と感謝を表す祭りでありますが、同時に悩み、苦しんでいる隣人に対する愛と配慮を促す祭りでもあります。このように、種なしパンの祭りを通してイスラエルがエジプトで経験した悩みと苦しみが益に変えられていくべきだったのです。イスラエルの悩みと苦しみが神を愛し隣人を愛する力に変えられていくべきだったのです。

しかし、旧約聖書を読むとイスラエルが過ぎ越しの祭りや種なしパンの祭りをほとんど行わなかったことがわかります。イスラエルは神様の愛と恵みによる救いを身をもって体験したことを忘れ、イスラエル国内で悩み、苦しんでいた者、弱い者、最も助けを求めていた者を助けるどころか、彼らを虐げるようになったのです。しかしそれでも、イスラエルの神はご自分の民を見捨てず自らがこの「悩みのパン」となられたのです。「悩みのパン」であられるイエス様を通して新しい出エジプトをもたらされたのです。イエス様は悩みと苦しみに満ちた人生を歩み、その人生が十字架の死に至りました。イエス様はローマ兵に引き渡される前夜に弟子たちと過ぎ越しの祭りの時期に食卓を囲み「最後の晩餐」と知られている時に

(・・・)イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」(マタイによる福音書26:26b 新改訳2017)

イエス様が裂かれたパンは過ぎ越しの食事の種なしパン、すなわち「悩みのパン」であった、と言われています。つまり、人となられた神であるイエス様ご自身が究極の「悩みのパン」となられ、十字架の上で裂かれたのです。
イエス様は「悩みのパン」に新しい意味を与えられたのです。イスラエルをエジプトの奴隷ではなく、全人類をエジプト自体の問題であった罪から自由にしてくださったのです。

こういう意味で、種なしパンの祭りは私たちクリスチャンにとってとても意義深い祭りです。この新しい意味での種なしパンの祭りは十字架の上で裂かれた悩みのパンが私たちの命のパンとなったこと覚えてお祝いしている聖餐式だからです。